もどる

    かけはし2021年4月5日号

樋口英明元福井地裁裁判長講演から


知ってしまった者の責任はきわめて重大


 前号に紹介した元福井地裁裁判長樋口英明氏の講演要旨を掲載します。


 福島事故はマグニチュード9の地震、三陸沖130キロに震源があった。そのため、震度6であったが、外部電源が喪失し、15メートルの津波で非常電源も喪失。1・2・3号機はメルトダウンした。15万人が避難し、入院患者約50人が死亡、震災関連死は1500人以上となった。
 事故はなぜ起きたのか。それは原発の仕組みが関係する。火力発電の場合は火を止めればそれで収束していくが、原発では核分裂反応を止めた後も沸騰が続く。ここから、安全3原則が生まれる。(核反応を)止める・(核燃料を)冷やす・(放射性物質を格納容器内に)閉じ込める。福島事故の場合、停電により冷やすことに失敗し、閉じ込めることにも失敗した。では福島事故は最悪の事故だったのか。2号機は欠陥機だったため、格納容器のどこか弱いところからベントして大爆発を免れた。また4号機は定期点検中で、抜き取るはずだった水が原子炉ウエルに入っていて、その水が使用済み核燃料を入れた貯蔵プールに流れ込んだ。弱い水素爆発で天井が吹き飛び、消防車からの放水が入ることができ、大惨事を回避できた。奇跡としか言いようがない。
 2・4号機の奇跡がなければ原発から250キロ、4000万人の避難になっていたが、奇跡が重なって30キロ圏内15万人で済んだ。奇跡がなければ、東日本は壊滅していたであろう。
 原発事故の発生率は低いはずだから、「地震の時は原発に逃げ込むのが安全だ」(近藤委員長とビートたけしの対談)というのは、一概に間違いとはいえない。
 地震の揺れの強さをガル(振動の加速度の単位)で示すと、例えば、岩手宮古大地震(2003年)は4022ガル、東日本大震災(2011年)は2033ガル、大阪府北摂地震(2018年)806ガル。ところが大飯原発建設の時の耐震基準は406ガルだ。日本に地震観測網ができたのは2000年以降。だから、いかに低い基準地震動で原発が造られたかがわかる。
 福島第一原発1〜6号機建設時の基準は270、3・11時の地震動は600ガルだった。原発の基準地震動はハウスメーカーの耐震性よりはるかに低い。ここから判断すると、【原発はひとたび事故が起きたら被害が大きいが、めったに起きない】のではなく、【原発は被害が大きく事故発生確率も高い】といわざるを得ない。これほど危険な原発が止められない裁判は基本的にどこかおかしい。
 
真の危険性を
審理せぬまま


 原発容認派の弁解は、原発の設計は地下の揺れを基準にしている・原発敷地に限っていえば、将来にわたり震度6、7の地震は起きないというもの。これ信用できますか。700ガルの振動がくれば原発は危うくなるが、なぜ多くの裁判長は原発を止めないのか。それは、原発の真の危険性について審理していないからだ。
 原発訴訟は高度の専門技術訴訟だ(1992年伊方最高裁判決)といわれるが、そんなことはない。極端な権威主義・頑迷な先例主義・科学者過信主義によるリアリティの欠如のためだ。これからの裁判は、誰でも理解でき、誰でも議論に加わることができ、誰でもが確信を持って訴訟に臨むことができる。このことを、大阪地裁大飯原発設置許可取消訴訟判決(2020年12月)が教えている。
 3・11を経験したわれわれには責任がある。原発事故はめったに起きないし、起きても30キロ圏内だ、ではなく、原発事故は停電しても起きるし、起きた場合の被害は250キロ圏に及ぶ。原発は見当外れの低い耐震性で造られてしまっていたことが判明した。
 田中角栄や中曽根康弘の頃にはわからなかった。だが今、これらの事実を知ってしまったわれわれの責任は重い。
 原発を止めることができる5つの責任者は、原子力規制委員会・内閣総理大臣・地元県知事・地元市町村長・裁判所だ。原発問題は間違いなくわが国で最も重要な問題であり、原発事故が起きればすべては水泡に帰す。
 「問題に対して沈黙を決め込むようになったとき、われわれの命は終わりに向かい始める」(キング牧師)。


もどる

Back